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二項対立的にジャズを考える

二項対立という言葉があります。

陸と海、のように相対立する一対の概念と定義できると思います。男と女とか。

世の中って争いが絶えませんよね。戦争なんて最悪な状態が、世界のどこかに必ずある。

その要因として無視できないのが宗教でして、「一神教的世界観と多神教的世界観」という二項対立が存在すると思います。

一神教の文化で育った人には多神教の文化で育った人の考え方がわからないし、逆も然り。

問題なのはどこかと言うと、そうであるにも関わらず、一神教の人は世界中の人が自分と同じように考えるはずと無意識に思っているし、多神教の人もやはり世界中の人が多神教的に考えることを前提としてしまうことだと思うんですよね。

例えを使ってわかりやすくすると、そうですね、「詩」というものがあります。

一神教の世界で、ある詩人が素晴らしい詩をつくった。この時、詩人は神に感謝します。「おお神よ!私にこの詩を書かせてくれてありがとう!」

つまり、真の著者は神なんですね。

この詩人の気持ちを、多神教の世界に生きる我々日本人に、心の底からわかる人が果たしているでしょうか?ってことです。

真の著者はあくまで考え出した本人であり、その詩が逆に神々を喜ばせ、その報酬を詩人が受けるという図式の方がしっくりくると思うのです。

例えば、呪いの詩を書くと、その力が神を動かし、誰かに報いを受けさせる。人間が神を使役するわけです。

この我々が普通に持っている感覚を、一神教の人にいくら言葉を尽くして説明したとして、腑に落ちてくれるか、想像するに心許ないです。

音楽の世界にも二項対立は存在しています。例えば、再現音楽と即興音楽。我々のジャズは、もちろん即興音楽に属していますよね。

ところが、この即興音楽は少数派な故か、あんまりしっかり理解されていない気がします。

どんな風に理解されてないかというと、やっぱり再現音楽の考え方を前提として即興音楽を理解しようとするところに無理があるのに、そこに気がついていないことに大きな原因があるんですね。

でも、そのことに、つまり自分が再現音楽の立場に立っていることに気づかせ、さらに即興音楽的な考え方を根付かせることの困難さたるや!

初心者の方は言うに及ばず、中級者の方や、周りからは上級者と見なされている方々の中にも、話していると違和感を感じる方がいるんですよね。

中には自分は即興音楽側の人間と信じ込んでいるが、実は再現音楽側にいるとしか思えない行動をしているという人もいて、そういう人が真実に目を背けずに認めるには、大変な勇気が必要になると思われます。

そして僕としては、そういう違和感を感じた時、そこに話を及ばせると膨大な時間と言語量が必要になるので、つい黙っておいてしまうという経験を数多くしてきました。

というわけですので、ここでも書くのはここまでとしたいと思いますが、ジャズを勉強している方の目に留まって、この短い文章が何か気づきのきっかけになれば幸いです。

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この記事を書いた人

1970年生まれ、熊本県出身熊本市在住。Tenor Saxophone奏者。
‪熊本市中心市街地活性化プロジェクトStreet Art-Plex Kumamoto「JAZZ‬
OPEN」のプロデューサー、上通り並木坂の「えびす祭り」のステージ企画プロデューサー、熊本シティエフエム「しろひのBaby Talk Jazz
Study」番組パーソナリティを務めている。2009年、自己レーベルFelidae's Recordsより、初アルバム「Tiny
Purple」(JASRAC R-0940557)を発表。北九州市立大学ジャズ研究会K&K出身。

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