最近、この言葉が気に入ってます。
お母さんがお家で一生懸命家事をやっている時に、お父さんがリビングでテレビ観てアハハと笑ってる。
お母さんは思うわけです。「うちの亭主は目が見えてないのか。こんなに私が忙しそうにしているのに、手伝う気がないどころか、労わる気持ちさえ見せない。」
そう。ご亭主が「手伝ってくれるかも」「労ってくれるかも」と期待するから腹が立つんですね。
ところがリビングに居るのが飼い猫だったらどうでしょう?これは腹が立たないわけです。猫はさすがに手伝ってもくれないし、気遣ってもくれないってわかってますから、何も期待しませんもんね。
ところで、腹を立てても、だいたいロクなことになりませんよね。
なので腹を立てるような状況を作らないためには、まず何も期待しないことがコツだと僕は思うのです。
ジャズやサックスを教えていると、長年の経験で、生徒さんに過度の期待をしないことが、けっこう大事なことなのかもしれないと思うようになりました。
「一を聞いて十を知る」なんて人は滅多におらず、「同じミスは2度としない」人も稀でして、自分も含めて、1回聞いて納得したつもりでも、次に会った時には忘れてしまっているのが、普通の人間なんですよね。
それなのに教える側に立つと、「どうしてこんな簡単なことがわからないのか」とか、「この前のレッスンで教えたのに、なんですっかり忘れてるんだ」とか、とつい腹立たしくなる。僕も若い頃は、そんな感情を持ってしまっていました。
それは間違いかもしれないと気がつき始めたのは、年齢を重ねたこともあったでしょうが、転機になったのは、自分自身が卓球のレッスンを受けるようになったことも大きかったですね。
先生の指導に対して、「せめて同じ指摘を受けないように」と気をつけているつもりでも、何度も同じような説明をしてもらってたり、ピントの外れたことを先生に言ってしまってる自分に後から気がついたり、いろいろ教わる側の気持ちを改めて実感しました。
教わる側の立場からすると、もちろん、プロになりたいレベルの話はまた違うのでしょうが、まあ我々のような凡人レベルでは、腹を立てた先生に叱られながら成長するより、基本的には褒められて成長したい。
逆に言えば、先生の側は腹を立てないことがある意味肝要で、なるべく褒めてあげることが大事じゃないかと思うのです。
ただ、僕なんかも努力はしていますが、なかなか人を褒めるのは難しい。でも腹を立てないことには自信がありますね。100回教えたことを、生徒さんから「初めて聴きました!」って言われても、「いやあ、僕も初めて言いました!」と返せる心境になりました。
期待するから腹が立つ。
これは職場や家庭、さまざまなコミュニケーションの場で役立つ言葉なのかもしれません。
優秀な人材でも入社して数年経ってようやく一人前になることを思えば、趣味のジャズが上達するのは時間がかかって当然と、教える側も教わる側も自覚しないといけないですよね。
とここまで考えてきて思い出したのですが、山本五十六の有名な格言って、そういうことなのかもしれませんね。
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ